古寺巡礼 (岩波文庫)
「あの肌の黒いつやは実に不思議である。」で始まる中宮寺観音像の描写。この著作に関しては、美学的哲学的にいろいろと難しい事はあるのでしょうが、私には個人的に忘れられない、これ以上ない最上の日本語の愛の表現が印象的です。「・・あのうっとりと閉じた眼に、しみじみと優しい愛の涙が、実際に光っているように見え、あのかすかに微笑んだ唇のあたりに、この瞬間にひらめいて出た愛の表情が実際に動いて感ぜられるのは・・あの頬の優しい美しさの、その頬に指先をつけた手のふるいつきたいような・・」と讃えられるひとつの仏像。
こんな風に青年は熱く黒い木で出来た仏像を崇拝するものなのでしょうか?このくだりを読んだ時、恋する若者の震える心、震える唇、震える指先を感じさせる名文と思いました。
TOGISM 2001
手垢がついた「癒し」という言葉はあまり使いたくないけれども
このCDは いやみのない 聞きやすさと
耳なじみの良いメロディ、そして普通過ぎない雅楽的スパイスが
付け加わって、本当に何度も聞きたくなる素敵なCDだと思います。
毎日のわずらわしさで いらいらしたときなど、
これを聞くと ほっとします。
個人的には、「くじらたちのうた」が一番好きです。
天平の甍 [VHS]
私は、映画館で此の作品を見たのですが、30分も経たないうちに退席して来ました。理由は、出演者の顔がどれも、全然、坊さんの顔ではなく、気持ちが悪くて、見るに堪えなかったからです。
坊さんには、坊さんの顔があります。例えば、『Zen Mind, Beginner's Mind』の裏表紙に、Shunryu Suzuki氏(鈴木俊隆氏)の写真がありますが(Googleで画像検索出来ます)、あれは日本曹洞宗の坊さんの顔です。
日本臨済宗の坊さんの顔は、もっと真剣(抜き身の刀)の凄みを感じさせるものがあります。尤も、日本臨済宗の坊さんに言わせると、臨済宗内部に更に二派があり、その二派の違いは臨済宗と曹洞宗の違い以上に大きいのだそうです。
日蓮宗の坊さんは、日蓮の心の系譜を映し出した顔になり、真宗の坊さんは、親鸞の心の系譜を反映した顔になっています。
人間は、ヤクザの世界に入れば、ヤクザの顔になりますし、役人の世界に入れば、役人顔になりますから、同様にして、坊さんの世界に入れば、坊さんの顔になります。その坊さんの世界にも、更に色々違いがある訳です。そうなる理由は、集団内部で構成員全員が共有しているものが多々有るからです。皆で同じようなことを朝から晩まで考えていれば、「人間として当然考えるべきことを、何ひとつ考えない」という点まで、共有してしまい勝ちです。
過去の映画の中で、最も坊さんらしい顔と物腰(言葉つきと身のこなし)で演技していたのは、私の知る限りでは、中村錦之助さん主演の『宮本武蔵』の中で、沢庵宗彭(そうほう)を演じていた、三国連太郎氏です。
黒沢明氏が晩年、「もう時代劇は撮れなくなってしまった。時代劇の絵に収まる顔をした日本人が、もう、居なくなってしまったから。」という意味のことを、言っておられました。黒沢氏は勿論、顔の造作(ぞうさ)の事ではなく、「顔つき」の事を言っておられたのだと思います。
人間の顔は、「内なるもの」の表現・表出ですが、その対応関係は、霊界と地上との関係や、その他、多くのものの、隠された秘密を解き明かしてくれる、基本的で重要な構造です。取り分け、顔には眼がついており、人間は見たいものや見ようとするものに顔を向けるように、神によって創られています(AC1806)。
蒼き海の道
2001年東儀秀樹さん初のシングルです。この頃は一種独特の
大仰しさがあったと思います。だからか解らないけどこの曲はかなり
スケールの大きさがあります。最近ちょっとこぢんまりしてしまった
感じがするのでちょっと残念ですが。
バックの篠崎正嗣さんを中心とした篠崎ストリングス、この作品でもとても
よいサポートをしたと思います。