リング コンプリートBOX [DVD]
私自身が思うに、4作品の出来不出来が結構あるように思う。
個人的な嗜好の問題なのかもしれないが。
若いときの竹内結子が見れるのはめっけもの。
また、私の父は、テレビで「リング」を見た日(当時65を過ぎていたが)は、
怖くてトイレに行けなかったと話していた。
先日リングを見た子どもが放った一言、
「液晶テレビからは出てこれないやろ」
私が返した言葉、
「3Dテレビで見たら、めっちゃこわいんちゃう」
ということで、3D版を望みます。
黒電話と同じように、
貞子が出てくるあの機械って、
「ひょっとしてテレビ?」と平気で聞く子供が出てくるんだろう。
いい意味でも悪い意味でも、平成の日本映画を語る上では、避けて通れないシリーズ。
とりあえず見てみよう。
猫鳴り (双葉文庫)
一匹の猫「モン」が三者の人生に関わる。
「猫鳴り」とは聞き慣れないことばだが、はたして作中にそれに対する解釈があった。
この三人の胸に在る昏さは、信枝の場合「空っぽの底なし井戸」「虚無」と自覚し、
行雄は「ブラックホール」と呼ぶ。藤治は子供の頃から抱えている「死の恐怖」がそれだ。
どこからともなく現れて、捨てたはずのモンを飼うに至るまでの信枝と藤治夫妻の葛藤は
切羽つまったものだった。失ったものがあまりにも大きすぎて、現実を生きている
匂いがないような信枝の昏い心象に、モンが分け入ってくる。
行雄は彼らとは直接関係のない少年だが、自身の「ブラックホール」から脱出するまでの
行動や心理がなかなか粘っこい描写で、思春期の苛立ちを裏打ちしている。
モンは、同級生の元の猫として、効果的な役回りで登場する。
やはり、この作品の三篇のなかでも群をぬいて静謐で濃密な闇を描いているのは、
藤治の章だ。
老いた一人と一匹が、死にむかって生きてゆく。
もちろん、モンの体がきかなくなり衰えていくさまは、寂しさも虚しさも無念さも
ともなう。藤治にも医者にも、もう手立てがないところまでモンの症状は進む。
モンとともに生きる藤治は、モンから「死」というもののイメージを様々に
受けとる。世話をしているはずの藤治が、モンに別れの準備が整うのを待たせていると
自覚する場面がある。克明にそれを描く作者の眼。
「死」を、藤治はモンの老衰するばかりの日々を見つめながら、徐々に受けいれていくのだ。
老人と老猫の静かな余生。
この世に生まれ落ち、生きて、ただ生きて、死んでゆく。それは、猫も人間も同じこと。
尊く潔いまでの、モンの寡黙な姿に、どうしようもなく胸を突き上げられた。
モンの死を受けとめる藤治の葛藤を描ききり、生きて死ぬことの自明の理を
藤治も私も受けいれられたのである。
ここはグリーン・ウッド~晴れ、ときどき“雨やどり”UNDER THE TREE OF MEMORIES
アニメ「ここはグリーン・ウッド」のサントラです。
1993年に発売されたものの再販で、収録内容・ジャケットについてはまったく一緒です。
ビクター音産がJVC表記になったとか別に誰も気にしないとこしか変わってません。
(Green Wood Club Newsなる当時発行したと思しき折込チラシまで入ってました)
また、作曲家・永田茂さんのファンであれば買って間違いはないと思います。
アリーテ姫 [DVD]
正直なところ、首を捻りました。原作を知る方にとってみれば、大衆向けに丸め込まれたな、という印象を抱くかも知れません。
全体的に荒削りなのです。
ですが、この作品の良さが見えてくるのは、二回目を観る時です。
初めて観た時、原作に縛られていたのでしょう、作品の良さを実感出来ませんでした。
言い換えれば、初めてアリーテ姫を知る人にとっては入り易いかと。
アリーテ姫を初めて知る人も、二回この作品を観て欲しいです。間隔を空けて観ると尚良いかと思います。
是非ヘッドフォン装着+音量大きめで観賞して下さい。
アリーテの言葉一つ一つがとても身近に、切なく、そして愛おしく感じます。
他の人物一人一人にも、同じことがいえます。
音楽も作品に華を添え、それでいてくどくないのです。
誰しも一度は悩んだであろう「自分には何が出来るのか」を、優しくも鮮烈に響かせてくれます。
観れば観るほどに深みを増し、発見があり、爽やかな感動があります。
休日の日など、ゆっくり出来る日に、じっくり観て欲しい作品です。
この監督の「日常」の描写力には、ただ脱帽です。