楢山節考 [DVD]
かつて、日本では、貧しさから、子供が間引きされ、老人が、山に棄てられると言ふ悲劇が、普通の事の様に行なはれて居た。
この映画の原作(『楢山節考』)は、そうした日本の貧しさの記憶である姥捨て伝説を基に、山梨県石和出身のギター奏者、深沢七郎が書いた小説である。−−この小説を読んだ三島由紀夫が、強い衝撃を受けた話は有名である。
木下恵介監督は、家族をテーマにした映画を多く作って来た。その木下監督にとって、子が親を山に棄てると言ふ深沢七郎の小説が、衝撃的であった事は想像に難くない。実際、この映画を観ると、木下恵介監督が、この小説の映画化に注いだ情熱の深さは、良く伝わって来る。
この映画は、歌舞伎のスタイルを真似て居る。冒頭の黒子による口上が印象的である。又、全篇を通じて、その色彩と照明が印象的だが、これについては、好みが分かれるだろう。
私は、学生の頃(1970年代)、この映画を東京のフィルム・センター(京橋)で観たが、その時のパンフレットで読んだ事の中で印象的だったのは、主演の田中絹代が、この作品に掛けた情熱の凄まじさであった。それに依れば、田中絹代は、この映画の為に、女優にとって大切な物である筈の自分の歯をわざわざ抜いたと言ふ。田中絹代が、木下恵介監督と同様、この物語の映画化に、並々ならぬ思ひ入れを抱いて居た事を伺はせる逸話である。田中絹代にそこまでさせた物は、何であったのだろうか?
(西岡昌紀・内科医/畠山彩香ちゃんの冥福を祈りながら)
楢山節考 [VHS]
深沢七郎が中央公論新人賞をとった「楢山節考」を原作にした作品です。
で、見ていて一番気になったのは、この村人達は本当に食うのに困っているのだろうか?ということです。食い扶持を減らすため婆さまを遠くの山に捨てに行く、という棄老伝説を題材にした話にしてはそこまで村の人たちは困ってないんじゃないの?という感覚が抜けませんでした。
原作に書かれていたエピソードは忠実に描かれていて普通に見れました。あとは今村監督の脚色なんでしょうか?原作にないものもけっこうあります。
最後の、緒方拳が自分のおっかあを楢山に捨てに行き、帰り際雪が降り、そして思わずおっかあに向かって叫ぶシーンは、原作と同じく、なみだ滴ります。
言わなければよかったのに日記 (中公文庫)
著者は深遠なテーマを書くイメージがあり、敬遠していた。しかし、こんな本があったとは。
例えるなら「バカボンのパパ的」本です。抱腹絶倒間違いなし!間違いなく「即買い」だ。
私はこの本を読んで以来、「行かなければよかったのに日記」とか「買わなければよかった
のに日記」など、タイトルを真似てしばらく日記をつけていたなぁ・・・。
三島由紀夫が最も怖れた作家、というのも少しわかった。(←えっ、意味が違う?)
楢山節考 [DVD]
両親は長野県出身です。幼い頃から山に囲まれた父の故郷に行くたび、そこから言い様のないエネルギーと圧迫感を感じ、恐ろしさに震えました。
あの深い森山のなかに、今でも鬼はいる、そう感じます。
信州(長野県)には鬼無里という地名があります。お蕎麦の名産地としても有名です。
地名の由来は天武天皇の御世、信濃遷都を山を置いて(!)邪魔した鬼を討伐させたところからきているそうです。
又、やはりこの地域には「紅葉(もみじ)」伝説というのもあります。能の「紅葉狩」にもあるように、通りかかった旅人を美女が手厚くもてなし、夜になると鬼の正体を現し食らってしまう。能ではその鬼も退治されてしまうのですが、別の「紅葉伝説」では、女は魑魅魍魎の類ではなく、村人に恩恵を与えた巫女として、敬われ手厚く奉られています。
カンヌでグランプリを獲った秀作「楢山節考」、70になると、人減らしのために老人は山へ行きます。死への旅です。海外の人には、日本がほんの数百年前にはこんなに貧しい地域で、このようにしなくては生きていけない過酷な現実だったという事も大きく衝撃を与えたようです。信州には「おばすて」という地名も残っています。
人々は生きるため、食べ物を盗んだ人を見せしめとしてなぶり殺し、きまりにより親までも捨てなくてはなりません。まさに心を「鬼」にしなくては生きていけないのです。
そんな心の闇が長野のみならず、日本全国に多くの「鬼伝説」を生んだのかもしれません。
楢山節考 (新潮文庫)
表題作ばかりに注目が集まっているようですが,私はこの作品集の中の「東京のプリンスたち」についてレビューしたい。
まず,そのたくみな構成がおもしろい。
数人の若者(高校生ら)の視点を章ごとに入れ替え,ある章において脇役だった若者が別の章で主人公となる。ただ,脇役だったときには名字で呼ばれ,主人公となるとファーストネイムで呼ばれているので,すぐには同一人物とは気づかず,気づいたときにはなるほどと納得する。
また,1959年の作品なので高校生らの会話が古く感じるのかと思えば,それが逆に新鮮で面白い。
若者たちは,プレスリーのレコードに熱狂し,何ものにもとらわれない自由な生きたかをしているが,そのうち社会にでて働かなければならないことを自覚しており,それであれば,今現在を楽しまなければダメだし,自分の行動は自分のしたしようにさせてくれなければ苦痛だと,自覚的に「遊んでいる」。それでいて,心の根の部分には優しさを併せ持っている。
貧村を舞台にした人生永遠の書と言われる「楢山節考」を読んだ後に,「東京のプリンスたち」を読むと,その構成や作品の表面的な明るさから,一見同じ作家の作品と思えないほどで,深沢七郎の懐の広さに感心するのであるが,それでもやはり,この両作品の根っこの部分においては共通するものがあるように感じられます。
それが何なのかは,実際に読んでみて,感じてください。
「東京のプリンスたち」傑作です。