現代思想2011年9月臨時増刊号 総特集=緊急復刊 imago 東日本大震災と〈こころ〉のゆくえ
東日本大震災後、様々なムックや雑誌や本が出版されたが、そのどれも手に取ったことはなかった。しかし、この本はたくさんの精神科医の先生方が執筆者になっておられることから購入した。精神科医以外の方々の記事もたくさんあった。対談から文章まで、いろいろな形式の内容だった。
私が知りたかったのは「こころのケア」ということについての具体例。こころのケアチームや医療チームが各地から派遣されて現地に入った。その時期は様々だったという。震災直後、次第に時間が経って、数ヶ月後から多分現在まで。その時々で、必要とされることは変化していったことと思う。
具体的でとてもわかりやすかったのは、井原先生と斎藤先生の対談「「日常」の回復のために精神科医は何ができるか」、臨床心理士の大澤氏の「あらゆることが「こころのケア」になりうる」、森川すいめい先生の「被災地で「どうして生きなきゃならないのか」と問われた時」。
これらの記事の中で、やはり気になったのは、地域性もあるのか、「精神科医に相談をすること」に対する抵抗感だった。そうすることによる周囲の目が怖い、排除されてしまうのではという恐れ、それが理由で相談できない、そういったケースがかなりあったようだ。さらに、被災者の方々から話を引き出すことで、反対に安定していた人を不安定にしてしまう危険性。災害により躁のようになってしまい、周囲の話を聞かなくなり周囲と人間関係がうまくいかなくなってしまった避難所のリーダー。また、長年ひきこもっていた方が、この災害でひきこもりから脱した例。ただし、一時的なものであって、生活が落ち着いてくるとまたひきこもってしまったケースもあったという。「生きる理由」を失った方々のお話を聞く話。「こころのケア」は精神面のことだけではなく、あらゆることがこころのケアになりうるのだという話。
そして、支援についての難しさ。というのは、外からの支援は一時的であり、継続してそれを行っていくのは現地の人々だということ。また、外から来た支援者が、避難所に誰もいない(皆さんご自分の家の片付けなどに出かけ始めた時期)ことに腹を立て、現地の人に「誰もいないなんて!!」と愚痴った例など、現地のスタッフの方々が困ることもあったと言う。そういうことから、支援者に対する支援や研修もとても大切なのだということがわかった。
SP-2
SP-2とは、音楽家平沢進氏が1994年から遭遇した、タイのGID(Gender Identity Disorder)たちのことを、被写体にし写真に撮り、テクストで解説された本である。と、同時に、平沢進氏が命名したその存在を指す言葉である。
SP-2たちは、最初、男性という性に生まれ、そして生きゆくなかで、自分たちの本当の性に気づき、その本質に沿って生きるべく、真剣に努力していることを、教えられる。
美しい人というのは、最初から美しいのではなく、限りない困難のなかで、それでも自分を卑しめることなく、美しくたらんと努力し磨かれ、光放つものだと、教えられる。
ただし、的をはずして努力することは滑稽である。真剣になりすぎ自身を追いつめることなく、真剣でありつつも常に問題に対し楽しむ態度も必要であることを、教えられる。
本書のなかで、わたしが一番好きなエピソードはひとりのSP-2、Helenのエピソードだ。
そのエピソードの冒頭には次のようなHelenの言葉がある。
" 私は容姿端麗ではありません。
あなたが今まで美しいSP-2の女性美を撮ってきたのなら、
私を使って人間を撮ってください。化粧もしません。さあ、始めましょう。−Helen(ヘレン)"
そして、エピソードのタイトルは「Helenの方法」である。
Helenのポリシーは、「理解を得るために、その時できる最善のことをする」「同時にショーのプロとして、楽しんでいない客が居れば、その時できる最善のことをして楽しんでもらう」というふたつであり、そのポリシーが遺憾なく発揮された、ある夜の出来事、平沢進氏が現場に居合わせたひとつの出来事、が、紹介されている。
ごく簡単に書くと、SP-2を差別する白人がツアーでショーを観劇にきて、SP-2のことをその場でひどく非難するのだ。それをステージ上の Helenは見逃さない。堂々と舞台を降りて、その白人のもとにゆき、その人めがけて、白熱の歌唱をくりひろげ、すっかり魅了させるのだ。
ことの顛末の詳細はぜひ本書を読んでほしい。そして、Helenの力強く優しいまなざしをポートレイトで眺めてほしい。
このエピソードは、本当に大好きだ。と、同時に、自分を省みるよい機会を与えられる。
意志をもって、"何者"かになるにはどうしたらよいのか。たとえば、母であるわたし。たとえばキリスト者であるわたし。たとえば人間であるわたし。
人は本質的なところで何らかの性質をもって生まれてついてはいるのだが、人はその立場に置かれたときに、意志をもってはじめて、その性質の何者かになるのだ。たとえば、母になる。たとえばキリスト者になる。たとえば人間になる。
「最善を尽くして」。
本書のなかで繰り返しあらわれるこの言葉。SP-2たちは、不理解のなかで、困難のなかで、けれど、最善を尽くして、良き何者か、すなわち良きSP-2になろうとしている。
わたしは、最善を尽くしているか?そして、その"何者"かとして生きることを幸せに思っているか?"何者"かとしてより良く生きることを意志を持って選択し続けているか?日常の中で、人生の中で。そんな問を投げかけられる。
そして、同時に、その問に対して、優美なワイ、"Yes"であり"はい"であり、存在を肯定する、優美なワイをもって、応答したい。という希望を与えられるのだ。
ヤプーズ・デ・ラ・クルスの犯罪的人生~96m巻・2枚重ねミシン目あり [DVD]
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内容は個人的に、戸川純さんのビデオの中でも一番でした!
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ユリイカ2008年12月臨時増刊号 総特集=初音ミク ネットに舞い降りた天使
僕たちは今(商業主義でない)クリエイティブのカンブリア紀爆発とでも言うような現象をこの日本で、ニコ動で、現在進行形で体験している。いろいろな動画投稿ネットがあるが「クリエイティブの連鎖」という意味ではニコ動が突出している。この無報酬・感動とコメントだけが対価という形でこれだけのテクニックを持った人々が一堂に集まり自分の多くのプライベートの時間を割いて作品を作りあいまたキャッチボールしている。この現象を的確に捉えた論評本が早く生まれないかと切に願っていた。アマチュアの創造性と感動と善意の無限の連鎖が生まれてしまった、この現象は同人文化等とは違い、かなり一般的な人々まで巻き込んでいることに意味がある。
初音ミクをパソコンソフトやオタク文化、ネット文化としてではなく「文学的」に捕らえて欲しいといった欲求はこの特集号でかなり解消された。
さすがユリイカ(^ω^;)
「ネットは広大・・・」過ぎるからこういった状況をまとめた上、ある程度まで掘り下げて論じてくれる特集本が出たことは非常にありがたい。内容のネタが古い新しいを言うのは野暮。なんせミクは現在進行形なのだから。本はいかに掘り下げて読ませて(楽しませて)くれるか、です。
ゴールデン☆ベスト P-MODEL「P-MODEL」&「big body」
色んな音が飛び交ってるのがものすごくきもちいいです。
歌声も力強く、時々入る裏声やシャウトが面白カッコイイ!
21曲入ってますがどの楽曲も個性的でバリエーション豊かな1枚になってます。