学校裏サイト [DVD]
デスノート、ガンツ、バトル・ロワイアル、リアル鬼ごっこなど
流行りものをまぜてつくったような話ですね。
しかし学校裏サイトというネットいじめのタイトルをつけながら
あまりその辺の本題は語られておらず社会性といえるものが
なかったのはいまいちでした
あと迫力を出すためか鬼ごっこと、不良漫画ばりの喧嘩シーンが
やや多すぎた感じでした。
主役の子はあまりイケメンとは思いませんでしたが、デスノーとの
夜神月を思わせる風貌と台詞演技はありました。
3人目の男とも言える紙屋というキャラはそれなりにキャラ立ちして
いましたがライバルの子は結局なにがしたかったのかいまいち。
ヒロインと大どんでん返しはいまいちピンとこなかったですね。
とはいえ、わりと長い時間ながら最後まで見れました
中盤以降をより丁寧な展開に時間が90分以内ならもっとよかったですね。
どちらにしろジャンプかマガジンの漫画みたいな話です
学校裏サイト
保護者として興味をもち購入。裏サイトの内容は新聞などの内容より詳しく、子どもを取り巻く環境の悪化をなんとかしようと研究活動してきた著者の思いに感銘した。こどもの現状を親が把握するために読みやすく解説しているように思える。この本を読んで、子どもともっと会話をしようと思う。
ネットいじめ (PHP新書)
「学校裏サイト=ネットいじめの温床」というバッシングに対し、荻上は「学校裏サイト」のほとんどが無害か、むしろ有益なものであり、「ネットいじめ」などは実はそれを使う人間と、彼らが置かれているコミュニティの問題だと論じる。ネットによりいじめが見えにくくなったという「俗説」に対しても、逆に従来から匿名性の高かったいじめが、ネットにより可視化されたのだと言う(p139)。
荻上によれば「学校裏サイト」に対する否定的イメージは、まず親世代のケータイリテラシーが低く、ケータイ世代を教育・指導する方法論を欠く点に由来する。しかしより根本的には社会における教育の位置変化、より大きくはコミュニケーション様式の変容に対し適切な対応がなされていないことが問題、とされる。
著者の処方箋は、まず冷静に現状をよく把握すること。その上でネットの特性を見極め、「学校裏サイト」などを本当に「裏化」させないために有効な対応法を模索すること。フィルタリングなどの処置については、親世代のリテラシーが低い間の「短期的な対症療法」(p240)としては認められるが、性急に法制化すれば、ネットにおけるコミュニケーションのノウハウが社会的に蓄積される機会を失うことになる。「『無菌状態』にするのではなく、『免疫化』『セーフティーネット』『風邪にかかりにくい環境』『事後対応』について考えるのが、『大人の知恵』というものだろう」(p176)。
…というような、非常にバランスよくまとめられた好著だが、あまりにスマートなまとめ振りが気にかからなくもない。
まず、荻上がケータイ悪玉論を否定しようとするあまり、「ケータイがコミュニケーションを変えたという技術決定論は誤り。むしろ社会やコミュニケーションの変容がケータイを生んだのだ」式の発言を繰り返す点(p199、p231他)。この議論は根が深いが、少なくとも私としては、原因と結果の矢印を逆転させただけのこんな単純な話で押し切るのは無理だと思う。
また荻上は、この本の中で何度か「近代市民社会」や「啓蒙主義」の限界に言及する(p230、p232他)。しかし社会がネット利用のノウハウを蓄積することで後続世代への指導力を高めるべきという構想は明らかに啓蒙主義的だし、ネットの特性を把握して制御するという発想には主知主義的な響きがある。また、いじめ対策として学校に警察を導入せよという主張も、子供にも社会的な義務を課すという意味で自己決定論的と呼べるだろう。
この点は、『リアルのゆくえ』での東浩紀の「(ネット上での情報量の増大に対し)リテラシーの発想では対応は不可能だと思います」(p222)、「人びとがネットで好き勝手なことを流す権利は、教育では止められない」(p223)という発言と比べると、より鮮明になるかもしれない。東の場合は、あえて情報の「誤配可能性」を確保する立場に立つわけだが、セキュリティ向上に関心を持つ人びとが東と同じ現状認識に立った場合、出てくる結論がフィルタリングでありゾーニングである可能性は高いし、その有効性は荻上が言うほど低くないだろうと思う。
ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)
子ども世代のケータイ依存は我々大人世代の想像を絶するスピードで進んでいることがよく分かる1冊。
自分はモバゲーや、そもそも携帯でサイトにアクセスするようなことを殆どしないため、実感としてなぜ子どもたちがそのようなものに浸ってしまうのか理解しきれない部分も正直大きいのだが(大多数の大人世代が同じ思いを抱いていることであろう)、著者の「子どもは居場所を失っている。大人に向かって自己主張する機会を失っている。」という指摘は全くその通りであると感じた。
テレビゲームや「ゲーム脳」(ニセ科学?)の害が叫ばれたのも今は昔、結局は大人の商業主義の犠牲になる子ども、という構図が見えてくるのだが。
これも著者の言うように、何よりも大切なのは各家庭で携帯電話の使用や所持について徹底的に話し合うこと。このことに尽きる。