沈む日本を愛せますか?
表題の問いかけについては、もちろんイエスだが、別に無理矢理愛する必要はないでしょう。ジャパンがじゃんじゃんシュリンクすることは、五五年体制が崩壊し、バブルが崩壊し、戦後が崩壊したときからみんな分かっていたことで、ただそれを口にしてもどうしようもないから黙っていたにすぎない。
これからしばらくの間は、いやもしかすると数世紀の間は、少子高齢化の我が国には右肩上がりの経済成長はなく、大いなる発展やら繁栄やら物質的な豊かさは夢のまた夢と成るので、生産と消費のスケールを死なない程度にゆっくりと落としていって、節電やら省エネどころか食欲も性欲も出世欲も半減させ、つまりは個々の価値観とライフスタイルを激変させ、おのれの身丈に合った新後進国にふさわしいちまちました生活をすればいいのである。
日本がラフォンテーヌの「寓話」のカエルのように己を夜郎自大に過信して膨張すると自他ともにろくなことにならないのは歴史が証明している。経済大国の首座を争奪戦とする熾烈なたたかいは例のBRICS諸国にゆだねて、われらはベネチアやローマやロンドンやマドリードのように、壮大な黄昏の中で、ゆっくりと歴史の主舞台から退去していけばいいのである。
一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))
著者の人となりを知る者にとっては読む前から想像に難くないと思うが、本書はハウツー的な小説の書き方を記した本ではない。著者はまえがきの部分で「小説家は、小説の書き方を、ひとりで見つけるしかない」と論じている。
では、この本が扱っているのは何かというと、「自分のまわりに広がる世界の見方」なのではないだろうか。人間にもっと「遊び」の部分があれば、世界はもっと面白く見えてくる。著者が小説の書き出しまでで、本書の内容を留めたのも、そこまでに至るプロセスこそが重要だからであり、それは人の「生き方」にも通じる部分があるのだと感じる。本書を通じて知識や技術を得たいと考える人にとって本書ほど無意味な作品はないかもしれないが、少しの遊び心されあれば、きっと素敵だと感じられる作品である。
恋する原発
帯はウソです、とは言い過ぎにしても、「大震災チャリティーAVを作ろうと奮闘する男達の愛と冒険と魂の物語」っていうのは、
「全米が泣いた」くらいな、飛躍した表現があると思う。ウソじゃないんだけど、言い当ててない。言い当てようともしない。
ですが、帯ですべて言っちゃうというのは、作品にたいして乱暴だし、
そういう乱暴が大きくなると、この原発というものにつながっていくわけです。
そして、世の中、原発というものがあって成り立っているもので、そこに抗うことは、文学の中でしかできない、と。
はじめ、点数でいうと、2点、3点くらいだったのが
途中に挿入された「震災文学論」を通過したあと、4点くらいになりました。
注意点としては
・○んこ、とか、○んこ、とか、○んこ、とか、そういう言葉が乱立していて読みづらい
・これは小説の体をなしていない
・震災で被災した人、というよりは広く、第二次大戦から日本の歴史を振り返っている
・モチーフは、津波震災にはほとんど当たっておらず、原発震災つまりは人災である
・そのような内容になった理由は、高橋源一郎氏の、以前からの文学へのテーマがそうだったから
震災文学論がいちばん、読みたくないな、と思っていた。
なぜなら、数ヶ月前に「ニッポンの小説2」を読んでいて、氏の文学論は、よう分からん、
と匙を投げたから。
だけど、氏が何が言いたかったのかが、その「ニッポンの小説2」でも何が言いたかったのか、
もっと言えば、オオエケンザブロウとか、ムラカミハルキが、何を言っているのかというのにも通ずることが
よく分かった。
(ちがうかもしれないけど、私は以下のように感じた)
震災に限らず、犠牲者という存在がいて、
わたしたちは、いるのだ、と。それを知らずに、もしくは知らないフリをして生きてきたのだと。
それがよく分かりました。
彼は、自分自身に怒っていて、東電社員に怒っているわけでも、政府に怒っているわけでもない。
“犠牲者”でもなく、“犠牲”ということが起こる、この世界への懺悔、、、
そういう世界に生きていて、さらに、言論者である立場の自分に怒っている、
もう、どうしようもない、懺悔というわけである。
さて。問題は、それが分かったあとに、私たちはどうすればいいのか、っていうことなんだけど、
それを知りながら、普通に生活し、恋愛し、結婚し、出産する、、ということをできるのか。
(程度の差はあれ)
それは見えない血を流しながら、各人がやっていかなければならないのだろう。
知らないままでは、いつかまた同じことが起きるから、知った上で笑って愛する人の手をとる、ということなのですね、
ということが分かっただけでも、読んだ甲斐がありました。
つぐみ [VHS]
牧瀬里穂さん主演、原作はよしもとばななさんの初期のベストセラー「TUGUMI」です。これもDVDになっていません・・・。
海辺の小さな町の古い旅館が舞台です。
開発による旅館の閉鎖間際という最後の夏休みに、従姉妹(中嶋朋子)がつぐみの町に帰ってくるところから物語が始まります。
つぐみの恋人になるのは開発側の社長の息子(真田広之)。
病弱な暴君のつぐみが切れて障子をやぶくところや、お風呂のなかでウクレレで歌「きりんのダンス」?を歌うところが印象的です。
相手役が真田広之というのはちょっと年齢があわないような気もしますが、ほかのキャストはいい感じです。
原作の雰囲気をおおむねおさえている感じです。
初期のころの牧瀬さんかわいくて大好き。前髪ぱっつんとまっすぐにきってあって、大きな目に棒読みのせりふ。乱暴ではっきりとした口調。
アンバランスな魅力です。
「幕末純情伝」も面白いですよ。
ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け [DVD]
真行寺君枝のミステリアスな美貌と、ラストのここ一番の見せ場での
独白のなまめかしさ。ゆれるまなざし健在なり!
三上さんのういういしい、それでいてツッパってる美少年っぷりが
キています。
原作者はこの映画ができたころは本当に独特の、透徹した哀しさと
詩情あふれる作品を上梓していたんですよねー。その核となる何か
はこの映画にもたっぷり反映されています。
随所に仕掛けられた小技の連続パンチに、たぶんどんな趣味の人で
も必ずどこかでひっかかってくる秀逸な映画です。
あのころ、僕らは若かった!
室井滋だけが今とぜんぜん変わっていないのがたまらなく素敵です。
青春ロードムービーというにはあまりにも苦く、そして哀しい、まさ
に「人間喜劇」です。
週末にでも見てみてね!(タバスコかけすぎるなよ!)