許されざる者 上
今年に入って、『闇の奥』『翔べ麒麟』、そして本作と著者の作品を続けて読んだが、本作がもっとも読み易く、面白かった。
要因としては、日露戦争を背景としているところ、主人公がいわゆる“不倫の恋”におちるところ、明治終り近くの世相を巧みに組み込んだところだろう。
簡単に言えば、読み易い『戦争と平和』とも言える。森宮(新宮)を舞台にした庶民の暮らしだけではなく、戦場の戦闘シーン、脚気に関する軍隊内での論争など多様な場面が描かれている。
しかし、本書を読んで、恋愛小説は“不倫”を題材にすると魅力が出しやすいことが改めてよく分かった。
本来の読み方ではないが、登場人物のモデルを探すのも面白い。あまり気づかれない人物を一人だけ。熊野病院の佐藤さんというお医者さん。佐藤春夫のお父さんだろう。
許されざる者―佐高信の政経外科〈5〉
相変わらず切れ味鋭い批評を味わえるのですが、後半部分の「筆刀直評
日記」のコーナーで興味深い一文を発見。このコーナーは自身の日記と
読んだ本の短い感想を12ヶ月分載せたものです。
■西村京太郎『女流作家』(朝日文庫)
いささか薄味。モデルの山村美沙については、
もっとドロドロした話を聞いている。
これでは何を言いたいか分からないと思います。著者もややセーブして
書いたのでしょう。昔少しだけ報道された、山村美沙が自宅で縄で縛ら
れた状態で娘の山村紅葉によって発見された騒ぎを思い出して頂けれ
ば、誰が縛ったかある程度想像がつくのではないでしょうか。
許されざる者 特別版 スペシャル・エディション [DVD]
改心した人殺しが、再び人を殺すまでの映画です。西部劇の格好よさは、この映画にはありません。人を殺すことの罪の重さ、人の命の大切さが、そのままタイトルと構成につながっています。主人公が立ち去るときに「娼婦を大切にしろ」という台詞を残します。安易に人を殺していた頃とは違い、殺す以上に残酷なことがあるのだということを、この台詞が物語っています。
許されざる者 [Blu-ray]
当映画もついに Blu-ray 化されて新作として登場しました。
初上映されてからかなりの年月が経ちました。何度も観ました。
製作・監督・主演のすべてを勤めたイーストウッド。彼が本当に描きたかったのは、果たして暴力の連鎖でしょうか。悪と正義でしょうか。
私は、西部劇という舞台を借りて、人間そのものの心理について、訴えたかったのではないかと思うのです。
愛妻を亡くしたマーニーは、二人の我が子とともに、慎ましくも平和な生活を送っていました。
ラストまでご覧になれば分かりますが、凄惨な殺しを、初めから目論んで町へ出向いたのか。
むしろ、期せずして降り注いだ宿命に追いやられ、殺人を犯さなければならなかった。
私はこのように理解しました。
マーニーは、かつて極悪非道のガンマンでした。悪の権化のような保安官により、殺人鬼としての本性が蘇ったのか。
ではなくて、人の心理の奥底にある潜在的なもの。それは、課せられた運命の元においては、人は容易に殺人行為を犯すことができる。
これがテーマだと思われてなりません。
一旦、話は映画からそれます。
イラク戦争の従軍兵士から、帰還して、PTSD ( 心的外傷後ストレス障害 ) を発症した者が多くでました。さらに自殺者も数多く。
一体なぜでしょう。元通りの平温な暮らしに戻ったというのに、戦火から脱して生き延びたというのに。彼らを苦しめたのは何だったのか。
自分こそは家族や国家、平和を愛する人間だと、自負していたのにもかかわらず、イラクの戦場では銃で、ためらいもなく人を殺した。
そして帰還兵として祖国に戻るやいなや、自ら犯した罪の意識から逃れられなかった。それが、彼らを苦しめたのです。
マーニーは、誰もが何処かで眠っている心理であり、許されざる者は、自己でもあり他者でもある。これが、私なりの解釈です。
許されざる者 [DVD]
イーストウッドの『グラン・トリノ』を観てから彼が出演・監督をする他作品が気になり、本作に出会いました。
古典的な西部劇は今回が初めてでして、異文化としての驚きが多く、理解することで精一杯でした。また、夜の場面では画面が暗く、誰が何をしようとして、どうなったかが分かりづらく、何よりも役者の表現が見えにくい所が残念でした。
ただ、死への後悔と重さ、生への理屈とその疑問が上手く西部劇として演出され、私の心にもその訴えがしっかりと届きました。
イーストウッドは、本来見なければならないところを分かっていて演出している人だと感じました。